うちの家族は皆変わり者。
母は「母」というよりも鬼怖、時々めそめそ教師。
父はお気楽自分大好きあっぱれ親父。
私はこんな親の元、4人兄弟の一番上として生まれたわけで、
何かと言うとお世話好きな煩いねーさん。
ちっちゃい頃からキッチンが好きで、
母が忙しい日なんかは、夕食を作ってみたり、
弟のお弁当などを作ったりした。
高校を卒業してからアメリカに大学生としてやって来て、
始めて自由を得た鳥のように、鬱陶しいと思った家族から解放され喜んだのはつかの間、
言葉の壁や文化の違いにこてんぱんにやられ、
あれだけ自分で来たいと言い張ったアメリカから、
逃げ出したい一心で数ヶ月を送ったのをよく今でも覚えている。
帰りたくてというよりも、逃げ出したくて、母に電話を入れた。
そんな娘の心の奥底が分かってか、
突きつけられた言葉は
「自分で決めた事でしょ。貴方の帰る場所はないからね。」
だった。
もちろん、この他にも色々な事があって、こういう言われ方をしたのだけど、
夜のVons(アメリカのスーパーマーケット)の駐車場にあった公衆電話の前で、
ギャーギャーと大泣きしたのが今では笑い話となった。
なんでこんなどうでもいい話しているかと言うと、
久しぶりに父からメッセージが入った。
7歳離れた一番下の弟がアメリカの大学を辞めたいと言い出した。と。
なので、お姉さんが辞めないように説得しろと。
彼は小さい頃から負けん気が強く、何か目を引くようなことをしてないと
安心出来ないタイプだった。私とよく似た所がある。
この10年をアメリカで過ごし、自分なりに色々な道を通って来て、
僅かながらにアドバイス出来る事は、
「焦りは禁物」
と言うことだけであろう。
私も昔は焦った。自分の人生に確実性がなかったから。
でも、今言えるのは、やり始めた事に終止符を打つ事が、どれだけ自分の人生において
本当の自信となってきたか、これは、経験した者のみが理解出来る事かもしれない。
私だって、まだまだ未熟である。けれど、自分の描く未来に不安はない。だって、今やれる事をしっかり楽しんでいるから。
夢を大きくもったら、それなりの覚悟でその夢を追っていかなければいけないだろう。
でもそれを課すのも自分次第。
今では、時間のありすぎたあの時期が懐かしい。
忙しさに追われる快感というものを、いち早く手に入れようとするものが居れば、
忙しすぎて、ゆっくりとした時間を必死に手に入れようとする者もいる。
いずれにせよ、探し求めることを辞め、「決める」と言う事が出来た時期から、
きっと自分の望む未来へと超特急で進めるに違いない。
「弟くん、頑張ってね」と、あの頃の自分を思いながら、同時にエールを贈る姉であった。