子供の素晴らしいところは、「なぜ?」を追求したがるところ。大人になると、ガイダンスが当たり前、知らなきゃ恥だと決めつけて、「なぜ」の追求をついついしなくなってしまいがち。
でも、なぜを本当に頭で理解、身体で理解出来ると、より深い観点から、幅広く応用出来るようになります。
う〜ん•••。言葉足らずで、言いたいことが分かりづらいかな?
例えば、学校の試験に備えて丸暗記してテストに臨むと、少し角度を変えた点から同じ答えを問われると、たちまち応用出来なくなる。でも、本当に、どうしてそうなのかと言うことが分かれば、点と点を繋ぐ作業がしやすくなる。
なぜ今日、時間をとって、ヨガと呼吸の話しをしようと思ったのは、ある事柄がきっかけとなったから。
数週間前、ヨガスタジオで仕事をしていた時のこと。スタジオの裏に行く用事があり、数分スタジオを離れました。爽やかな日差しが降り掛かる日で、ルンルン気分で道ばたを通っていると、可愛い真っ白なプードルのワンちゃんが、飼い主さんとカフェでお茶をしていました。可愛いワンちゃんの頭をさすり、飼い主さんのニッコリ笑顔を見た後で、用事を済ませに裏道に。5分程たったあとで、スタジオに戻ろうともと来た道を歩いていると、カフェの前に人だかりができて、辺りが騒然に。何かと思い除いて見ると、さっきまでしっぽをふっていたワンちゃんが、血を流して道路に横たわっている光景が目に飛び込んできました。
すぐにスタジオに戻り、事情を聞いてみると、椅子に括り付けられていたワンちゃんが道路に飛び出し、タイミング悪く通り過ぎた車と衝突してしまったとのこと。
この数秒の差で、呼吸を失ってしまったワンちゃん。生きてるものが亡くなる瞬間は本当に一瞬でしかない。そして、生きているものの発するエネルギーは、本当に強く、体感出来るものだと言うこと。
ここに命あるものの全ては呼吸から始まり、呼吸で終わる。当たり前すぎて、それがいかに重要か、必須であるかと言うことを忘れてしまう。私がヨガに魅せられた理由はきっと、生命の神髄を大切にする教えに基づいているから。勿論、筋肉と酸素の関係など科学的なことも大いに大切にしているだろう。初めは何気なく始めたヨガ。奥を突き進めば無限な程深い。でも、ヨガというものを人生の指針にしてからは、ここに存在する確かな自分、そして自分以外との全ての人、物に対する距離感が縮まった様に思える。
今、この瞬間、呼吸をしていられるということがどれほど人生において大切なのか、そう改めて思わされる出来事をこのワンちゃんを通して再確認させられました。尊い命が失われた先にある、素晴らしい教えを与えてくれたことに、限りなく感謝したいと思います。