インドではこんな風景が当たり前の毎日だった。
今思ってみたらもう半年以上も前の事。色々抱え込んでた私は、インドでのヨガ修行を決意。あまりリサーチもせずに行き着いた所はガンジス川がまだグリーンに輝く、ヒマラヤ山脈麓の町、リシュケシュ。行ってから知ったのだけど、ヨガはリシュケシュが発祥の地だそう。この小さな町は、牛、サル、馬、犬、豚がババ達と一緒に道路に住んでおり、お酒やお肉を売らない町。町の至る所にヨガアシュラムが軒を連ね、世界中からヨガを求めてやってくる人たちの姿があった。
インドのスケールは、今まで行った国とは比べ物にならない。何がって、何もかも。路上で売ってあるチャイは10円ほど。これが甘くて最高に美味しく、毎日のようにチャイのおじちゃんの所へ通った。
言うまでもなく、臭いは半端ない。デリーの空港に降り立った瞬間から、異様な臭いに包まれる。タクシーは本当に死ぬかと思ったほど、運転がやばい。なんせ、道路に線が引っ張ってあっても、そんなのおかまいなし。ガードレールにぶつかるなんて、当たり前。車に傷がついたって、そんなこと大した事じゃない。
インド料理はとっても美味しいけど、6週間もカレー、ターメリック、クミンに、ガラムマサラの香辛料は、さすがに受け付けなくなる。
勇敢にも、路上の出店の食べ物を食べたら、当たり前のように下してしまった。でも、デリーで飲んだパイナップルジュースは、私に赤痢を与えてくれ、ベッドで寝たきり1週間の凄さだった。
北の方にあるガンジス川はビックリするほど綺麗だけど、その横では死体が火葬される。何度か結婚式に招待され、と言っても、道ばたで知らない私に声をかけてくれて、家族のようにお菓子屋、チャイでおもてなしをしてくれる。インド人の結婚式はお祭り騒ぎ。
こんな所で世界中からこの6週間を共にしたヨギ達は、今の私にとってかけがえのない心の支えになり、良きライバルとなった。6週間何を学んだかはあまり重要ではないと思う。と言うのも、知識やアサナはどこででも学べる。究極を言うと、自分のお部屋のパソコン上でも学習可能。ソーシャルメディアが一般化してる今、世界の裏にいても誰が何をしているかすぐに分かってしまう。勿論、本当の事は自分しか知らない。
イタリアのマルタ島に居る彼女は、パドルボードのヨガクラスを始めたそう。そして、私にメッセージを残してくれた。「いっつもFacebookで活躍を見てるよ!私のモチベーションになってるの!ありがとう!」と。そんなメッセージを見た私は、「いやいや、こっちこそいつも貴方の活躍を見てるんだよ!!いっつも世界のどこかから、励ましてくれてありがとう!お互い頑張ろうね!」
リシュケシュで出逢った日本人の彼女は、ダンスを愛しながらヨガの先生をする凛とした方。日本のヨガと、自分のヨガの観点がずれているそうで、自らスタジオを作って、自分のヨガを提供している。彼女の譲らないこだわりからは、アーティスト魂が伺える。彼女からも勿論、いつも励ましのエネルギーをもらう。
ヨガの元々の意味は、「ユニオン」。様々なものを一つに調和して行く。私の心のざわつきも、一つに調和。世界中に散らばるヨギの友達も、遠いながらも繋がっている。そして、めちゃくちゃ過ぎるインドも、インドと言うユニークな国を一つに保っている。行ってみて、だからヨガかと何となく納得出来たような気がした。全てを無理矢理一つにするのではなく、今存在するものを認め、尚かつ調和させる。個性を大切に。
インドの写真を整理していて、なんだかとっても懐かしく、あれだけもう勘弁と思ったインドが恋しくなりました。そして、世界中のヨギのお友達に、ありがとう。